会の公式声明書簡集(アングリカンコミュニオン他管区を含む)

 

1、 マッテヤ日声明                    1997224

 

2、 クアラ・ルンプール声明                19972

 

3、 三位一体主日声明                   19986

 

 

聖マッテヤ日声明

 

                                   1997.2.24

 

                   日本聖公会『聖公会の信仰と職制を考える会』

 

1.  主イエス・キリストはご自身の(あがな)いの御業(みわざ)をこの世に永く継続させるために十二使徒をお選びになりました。その時、多くの男女の弟子の中から男性のみ十二人をお選びになったことは、決してその時代に制約されたことではなく、そこに御子(みこ)と父なる神の御心(みこころ)が働いていたことを私たちは信じます。

 

2.  以来、教会は今日まで二千年間、十二使徒の後継者として、特別に男性の中から主教を聖別し、また司祭職を男性に限って来ました。これは神が人間を男と女にお造りになられた創造の秩序と深い関わりがあり、神の御心(みこころ)による福音の真理であると信じます。

 

3.  この男性による司祭・主教職という伝統は、使徒たちからの信仰伝承に属することです。 いかなる時代においても、いかなる人間的な考えによっても、変更することの許されない救いの真理に属することであると信じます。

 

4.  近年、世界的に唱えられている女性差別撤廃運動はそれ自身正しいものと認められます。 そしてこの運動に端を発していくつかの聖公会の管区で多数決によって女性の司祭・主教按手が実施されるに至りました。 しかしこの運動を公会の司祭職に適用しようとすることは本質的な誤りであると認めなければなりません。

 

5.  近年、世界的に現れている性別に関する聖書の言語の変更(例えば、「父なる神」を「父また母なる神」と変更する)や、聖書に基づいた公会の道徳的・倫理的規範の変更(例えば、聖職者の離婚、同性愛者の司祭職、同性愛者の結婚)の運動と女性の司祭按手推進運動とは、同じ源流、いわば人間至上主義に属するものです。このままでは使徒たちから伝えられた普遍的な公会の信仰と伝承を歪める結果となると言わなければなりません。

 

6.  司祭・主教職への女性の按手の問題は二千年来の教会の伝統に反することです。しかし、これが避けて通ることが出来ない問題となっていることを認めるとするならば、これはどうしても同じキリストの司祭職を共有するローマ・カトリック教会、東方諸教会と合同で十分に学び議論し、神の御心(みこころ)を問う作業を進めていかなければならない問題です。聖公会があるいは各管区が単独で永久的決定を下してはならない問題です。

 

7.  私たちは、世界の諸聖公会に対し、また日本聖公会の兄弟姉妹に対して、この問題についての賛成、反対のいずれであっても同じテーブルについて所信を述べ、信頼と友情の中にあって冷静に真理のための神学的・牧会的議論を深めたいと願っています。

 

             会長   主教 ラファエル 梶原史朗(横浜教区)

             副会長  主教 ヤコブ   八代 崇(北関東教区)

             副会長  主教 オーガスチン天城英明(北海道教区)

             副会長  主教 コルネリオ 田崎安男(東北教区・退職)

             常任幹事長 司祭 イマニュエル 木下量熙

             総会参加者一同

 

 

 

クアラ・ルンプール声明

 

                                  199721920

 

 東南アジア管区常置委員会(199721920日開催)はここに全会一致で以下のことを決議するものである。(@)1997210日から15日にクアラ・ルンプール(マレイシア)で持たれた第二回南半球アングリカン会議(the 2nd Anglican Encounterin the South)において満場一致で決議され、以下に付記された「人間の性別(sexuality)に関する声明」を採択し正しいものと確認する、また、(ii)当管区は、前述の原則を受諾しかつ正しいものと確認する聖公会の管区を支持し交わりを持つ、さもない場合は(not otherwise

 

1. 神の栄光と人類への愛は人間の創造において啓示されてきた(ローマ118。創世記12627)。人間は、その多くの賜物がある中で、[男と女という]性別を与えられ祝福されている。

 

2. 堕罪以来(創世記3章)、人間の生は損なわれ神の目的は台無しにされている。人間の罪の有様は、性別をも含む人間存在の全領域に影響を及ぼしている。性的な逸脱は殆どの文化で常に存在していた。山上の説教の中の肉欲に関するイエスの教え(マタイ52730)は、性的な罪(sexual sin)が全ての人にとっていかに危険で誘惑に満ちたものであるかを明らかにしている。

 

3. それゆえに、北半球のいくつかの管区において教会の規律と道徳的教えに関して最近展開されている動きについて、特に同性愛行為を行っている者に聖職按手を授け同性愛者の一致(union)を祝福することについて、我々が深い憂慮を表明するのは、我々自身が性的な罪に傷つきやすい事を自覚しているからである。

 

4. 我々の性的な本性が錯綜しており、その本性が我々の肉体の内部に強い衝動を働かせることを我々は認めるものであるが、それにもかかわらず、我々は、聖書の中に表されている、性の領域における神の意思についても明確に分かっているのである。

 

5. 聖書は人間の性別に関する神の意思を証言しており、この意思は、聖婚式において一人の男と一人の女が生涯にわたる一致[を約束すること]によってだけ表されなければならないのである。

 

6. 聖書諸文書は、全ての性的な混乱は罪であることを明確に教えている。この混乱の中には、婚姻関係以外の男女間の性行為は言うまでもなく、男もしくは女の同性間の性行為も含まれていると我々は確信している。

 

7. 人間の性別に関して聖書諸文書がまことに明確な教えは、[性に関する]明らかな限界点が[どこにあるか]を提示しているがゆえに、キリスト教徒にとっては非常な助けになると我々は信じている。

 

8. 聖書が明確に教えることと感受性豊かな牧会的配慮をすることとの間にはなんらの矛盾をも我々は見いだしえない。悔い改めは、赦しに先行しており、治療の過程の一部でもある。神のみ名によって霊的な傷を癒すためには、我々は神の知恵と真理とを必要としている。我々はこの知恵と真理とをイエスの働きの中に見いだすのである。たとえば、それは、姦淫を犯した女に対するイエスの対応である。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(ヨハネ811

 

9. 性的な破滅の罠に捕われている全ての人々の魂の配慮をし、その人々へのキリストの憐憫と愛との通路となる事を、我々は教会に勧めるものである。我々は、その人々の傍らに立ち、彼らが信仰の共同体[である教会]の中で回復させられ健やかになっていくように彼らを迎え入れたいと願うものである。我々は、また、この領域で牧会活動をされる人々を支持し援助する。(resource)。

 

10.我々は、同性愛行為をしている人に聖職按手を授け同性愛者の一致を祝福するようなことをして聖書の教えを破棄することは、聖書諸文書の権威に疑問を呈することになると深く憂慮している。我々にはこの事態は全面的に受け入れがたいものである。

 

11.したがって、このことのゆえに、我々は、全聖公会における相互の責任と依存との関係に関して憂慮を表明する次第である。我々には、管区あるいは教区としては、真の一致の精神によって互が勧告と知恵をいかにして求めるかを学ぶことと、教会の規律と道徳的教えを根本的に変える事に踏み出す前に共通の考えに到達すること、この二点が必要である。

 

12.我々は地球規模の村に生きている。我々は、世界の一部で我々が行う事が別の地域の教会の宣教と証の根幹に影響を与えうることをいっそう自覚しなければならない。

 

                          ([  ]カッコ内は訳に際し補充)

 

 

 

三位一体主日声明

 

19986

 

 日本聖公会第51定期総会(199852628日)が『女性の司祭按手』を実現するための議案(第22号議案)を多数決によって通過させたことを、当会は憂慮し以下のように所信を表明する。

 

1  女性の司祭への按手は、聖公会綱憲に集約的に表明されている初代教会からの使徒的でカトリック的な信仰の変質に向けて第一歩を踏み出すことである。これは、性差別による女性の抑圧が除去されたのではなく、人間が手を加えることができない信仰の根幹を揺るがせたことである。

 

2  1990年の総会で差別反対論に基づいて女性の司祭按手が主張され、今年の総会でも一代議員が認めたように、これは、男女同権論あるいはフェミニズムの思想に基づくもので、神の啓示よりも世俗の考えを優先させるものである。

 

3  我々は、女性が教会の働きに積極的に参加することを歓迎するものである。しかし、第22号議案の提案理由は、一般的な宣教論に言及するのみで職制論とユーカリスト論を欠き、使徒たちから継承された司祭職・主教職に女性が叙任されなければ教会の働きが適正に進められない理由はなんら説明されていない。これによって、女性の司祭按手は、世俗社会への迎合で、なんらの神学的必然性もないことを自ら表明した。

 

4  1990年の総会において『女性聖職の実現を検討する委員会』設置の提案理由にある、<神の母性を代表するものとしての女性司祭>という新たに作り出された神論と職制論に第51総会は否定的見解を表明しなかった。これは、使徒たちからの信仰との断絶の容認であり、新しい宗教の創出に道を開くものである。

 

聖公会の信仰と職制を考える会 幹事一同